遅読翁ノエルのあれこれ創作書評録

後期高齢者に片足を突っ込みつつある老人です。ビンボーなため、本は買って読むことは滅多になく、もっぱら投稿サイトの作品やWeb出版の書物に目を通すことが多いです。作品は個人の好みと主観で★3以上と思われたものに限定して載せています。好きなジャンルはSF、時代小説、ミステリー、言語系エッセイ、人間学など。

白い恐怖

正直に言おう。イングリッド・バーグマンの美しさ、可愛さに改めて魅入られてしまった!
本評は『本が好き!』のコンセプトが読んだ本の感想発表にあることに鑑み、敢えてハヤカワ新書『白い恐怖』(『The House of Dr. Edwardes』2004年刊)を読んだカタチにして発表するものである。
ちと言い回しがややこしいが、この評は本に関してのものではなく、映画に関してのものだからである。書評に対して映評というものがあるのだとしたら、まさにそれを指す。したがって、評者がこれからつらつらと書き綴っていくことは、書物においてのそれではなく、映画を観てのそれであることを一等最初に申し上げておきたい。

さて、前置きはこのくらいにして、その映画とはどういうものかというと、何でも原作は1928年にジョン・パーマーとヒラリー・エイダン・セイント・ジョージ・ソーンダーズという二人の男性がフランシス・ピーディングというペンネームを拵えて発表した(本書解説より)ものであるらしい。
つまりは、なんといまから90年以上も前に書かれた本なのである。そして驚くなかれ、その本が映画化されたのは1945年。これまた評者が生まれる前に上映されたものなのだ。それだけでも驚きなのに、本日、鑑賞させてもらったその映画の字幕はまさに現代そのもの。心理学関係の訳語も、その当時は使われていなかったであろう学術用語が用いられていたのである。

本書の刊行もまた2004年というから、まだ読んではいないが、おそらくコンテンポラリーな訳が施されているのであろうけれど、75年以上前の映画の訳としてもハイカラ過ぎて、知ったかぶりをするのが好きな評者にはフロイトの説の引き回し方がとても分かりやすく功を奏していて、面白おかしく楽しめた。
だから、なにも、訳者にケチをつけているわけではない。源氏物語の現代語訳が諸氏によって発表されているに同じく、それもまた時代の要請に沿った親切心の表れであろうと、他の鑑賞者に代わって感謝の意を表したいくらいである。

本作(映画のほう)の原題は「Spellbound」というが、その意味は「呪文に掛けられた」とか「魅せられた」という風になるらしい。例によって、日本人独特の言語感覚を大いに発揮して案出した名邦訳で『白い巨塔』ならぬ『白い恐怖』となっている。
この手の古い映画のタイトルを見ていつも思うことだが、『暗くなるまで待って』とか『昼下がりの情事』とか、『太陽がいっぱい』とか、じつに思わせぶりな名タイトルぞろいで唸らされる。しかも、内容に即しているのである。これが本なら、いわゆる「ジャケ買い」ということになろうというもの。おそらく件の『白い巨塔』もこれを文字ったものに違いないが、謂い得て妙なタイトルである。

で、なにが言いたいかといえば、イングリッド・バーグマンがとてもチャーミングで新鮮で、可愛くしかも上手に演じていたということ。ものの本によれば、彼女の絶頂期の作品といわれるだけあって、その美貌と演技力はリアルを超えているのである。(結局、それが言いたかったんかーい!)
しかも、洒落ではないが、リアルを超えたものといえば、超現実主義つまりシュルレアリスムなのである。その意味で、サルバドール・ダリを起用したヒッチ・コックはやはり、なかなかの役者魂、いや、監督魂を有しているといえるだろう。この当時、彼をおいてほかのだれがシュールな映像を創出できたといえるだろう。
アンドレ・ブルトンだの、ルネ・マルグリットだの、ポール・エリアールだの、その他いろいろな名前が頭の中を去来するが、やはり彼をおいてほかにない。その演出もさることながら、対するグレゴリー・ペックもまたよかった。こうなると、まるで小学生が遠足に行った時の感想文のようになるが、純粋に屁理屈言いの評者でも、楽しいものには幼い時の感動受信装置が甦ってくるのである。

しかし、どうして、こうも昔の映画は分かりやすく、理解できるように作ってあるのだろう。そこには理屈はあっても屁理屈はないのである。フロイト精神分析的解釈もまた幼いココロだからこそ、容易に理解できるように作ってあるのである。
以前、『チャイナタウン』に出たジャック・ニコルソンの演技が素晴らしくて、思わず「映評」を書いたのだが、あれとまったく同様の感動を覚えた。いまでも、手の震えが止まらないくらいだ。双方とも単純なつくりだが、単純であるがゆえの複雑さ、ダイバーシティがそこにはいっぱい詰まっているのである。

ところで、なぜ評者がイングリッド・バーグマンだけでなく、グレゴリー・ペックが好きかといえば、小学校の担当先生が彼にそっくりだったからである。んなこと、関係ないじゃん! といわれそうだが、それほどに彼や彼女は評者の幼心を刺激するのである。とくに、イングリッド・バーグマンの美しさ、可愛さに改めて魅入られてしまった! ということだけは、恥ずかしながら、ここにおいて堂々と告白しておこう。